鉄道?バスで立往生した |
⑥東京?世田谷区
東急東横線
三軒茶屋~池尻大橋間 |
震度5弱以上
(緊急地震速報) |
月曜4限の授業が終わってから、直接帰宅しようとしたものの、北門が混んでいたので図書館に寄って本を読むことにした。しかし、疲れたので30分ほどで図書館を出て帰宅することにした。そして、いつも通り駒沢大学駅から電車に乗った。しかし、三軒茶屋駅を発車した直後、携帯電話が激しく鳴動し、考える間もなく列車は急停車、車内の照明が落ちて非常灯のみが点灯した。暗い中車内が大きく揺れ、乗客の悲鳴が聞こえる一方、多くの客は冷静に揺れが収まるのを待っていた。ついに首都直下地震が起きてしまったのかとこの時点では勘違いしていた。
親に連絡をしようと思い、LINEをしたが送信できない。試しにTwitterを開こうとしたが、画面上には読み込み中の文字のみが表示される。ネット通信がダウンしてしまっていた。ダメもとで電話を発信したが、やはり繋がらなかった。家は下総台地上にあるので大丈夫だと信じ込むことにして、気持ちを落ち着かせることにした。
発災から30分が経過した。依然、ネットは繋がらない。断続的に余震が、その度に不安が積み重なっていく。今居るトンネル内は安全なのか、安全に車両から脱出できるのか、今晩の食事は、今日寝る場所は、ということばかりが脳内を巡る。それからしばらくして、車掌が避難誘導の案内を呼び掛けにやって来た。車掌曰く、今日中は電車が動く見込みはないとのこと。予想はしていたが、やはりしんどい。
避難誘導に従い、電車内から脱出する。最後尾の車両からはしごを用いて線路上に降りた。ギリギリ三軒茶屋駅の方が近い地点で緊急停車したので、地震前に電車で乗ってきた線路を、係員の誘導に従い三軒茶屋駅に歩いて戻る。
三軒茶屋で地上に出ると素で空が暗くなっていた。都内とは思えないほど星空が綺麗に見えた。なぜなら停電していたからだ。歩いて柏市の家に戻ることも考えた。しかし、過去に出来心で東京駅を起点に歩いてみた際に北松戸駅でギブアップした経験を思い出し、また二次災害に巻き込まれる懸念もあったため、帰宅を断念して駒澤大学に戻ることにした。スマホのライトで足元を照らす。19時に大学に戻り、友人と再会し無事を喜ぶとともに、この地震が首都直下地震ではなく、南海トラフ地震であることを知る。サークルルームで寝泊まりをし、家に帰宅したのは2日後であった。 |
⑦東京?新宿区
JR中央線
四ツ谷~信濃町間 |
震度5弱以上
(緊急地震速報) |
5月9日(金)、9時40分頃。2限に行われる鈴木重雄先生の地図学を受けるために、総武線中野行に乗車していました。
四ツ谷駅を出発した直後に、自分のスマホはもちろんのこと他のお客さんのスマホまで、一斉に緊急地震速報が鳴り出しました。すると電車が急ブレーキをかけてトンネル内で停止してしまいました。列車が止まると揺れを感じるようになりました。揺れは大きくトンネル内で閉鎖的な空間ということもあり、揺れが収まるまで恐怖を感じました。座席に座ることができていたので、揺れていても自分自身は安定した姿勢をとることができました。
揺れが収まり地震について調べようとしたところ、アクセスが集中していることやトンネル内ということもあり、地震についての情報を得ることができませんでした。
車内放送があり、安全確認がとれるまで運転再開ができないとのこと。
地震発生から20分経過した10時頃、再度車内放送があり電車から降りて線路内を歩行し信濃町駅まで行くという案内がありました。先頭車両がトンネルを出た部分にあったので、先頭車まで移動して線路に降りた。5~10分ほど歩き信濃町駅に10時20分を過ぎた頃に到着しました。
ひとまず安全な場所に避難しようと考え、駅を出てすぐ近くにある明治神宮外苑に移動しました。それから10分ほど歩き、外苑内の大きなグラウンドにとどまることにしました。スマホをふと見ると11時になっていて、授業があれば遅刻だなあと思いました。通信が多少改善されたのか、地震の詳細について調べることができました。東海沖が震源でマグニチュード8、最大震度が6強、東京でも震度5強を観測したとのこと。12時になりお腹が空いたので、家から持ってきた弁当を食べることにした。周りにいる人の話を聞く限り、周辺のコンビニはどこも品薄になっているそうだ。
16時まで外苑で待ってみたものの、電車がやはり動きそうになさそうなので一時滞在施設に指定されている東京体育館に移動してみることにした。館内には多くの人が身を寄せていたが、水と非常食を受け取ることができた。今日は一晩ここで夜を明かすことになりそうだ。
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⑧東京?渋谷区
JR山手線
渋谷駅ホーム
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震度不明 |
渋谷駅は、工事中であり、ほかの建物より耐震構造が弱いと思われる。そのため、強い地震が起こると、駅舎ごと倒壊する可能性がある。この際にがれき等に埋もれる可能性がある。また、これにより電車の運行がストップし、先に進むことも大学に戻ることもできない。渋谷駅の1日利用者は、約280万人ほどである。夜7時頃は、帰る人たちがたくさん利用する通勤ラッシュである時間帯。これらの人たちは、駅舎から避難せざるをえない状態になる。そのため、ハチ公前などは人でごった返す状態になる。ただ、この時の避難者の心理状況としては、早く外に逃げたいという心理になる。避難者がその心理になると、押し合いになる、「将棋倒し」が発生する可能性がある。わかりやすい例でいうと、「韓国で発生したハロウィン雑踏事故」である。この時も人が多すぎて、途中で押し合いになったところで、バランスを崩し、将棋倒しのように、前の人に覆いかぶさるように倒れてしまって、窒息死してしまったという事故が発生した。このようなことが起こる可能性がある。
またハチ公に避難すれば、倒壊の被害にあることは抑えられるが、その付近には大勢分の食糧や外で寝る場所も確保することもできないため、寒さに凍えたり、食料を得られないため、体調を崩す人ができたり、衛生面的にもよろしくないと予想できる。しかしながら、渋谷区の防災ポータル(https://bosai.city.shibuya.tokyo.jp/hinan/hinanbasyo-map.html)よると、渋谷駅周辺は「地区内残留地区」に指定されている。渋谷は、谷という地形上細い道がたくさんあり、渋谷駅構内は工事中であるために倒壊する可能性があるため、本当に残留していてよいのかどうかというのも、少し不安が残る。
発災した当日は、渋谷駅を経由する鉄道は、すべてストップしており、翌日以降の運転再開が見込まれた。その報告を聞き、広域避難場所ではなく、安全が確保された避難場所にそれぞれが向かって、発災当日は過ごした。発災翌日の昼頃から順次鉄道が運転再開すると情報が入ってから、避難していた人たちは、「これで帰れる」と思い、避難者全員が拍手し、泣いている人もいた。
今回は通勤ラッシュの渋谷駅で大地震が発生したという予想したが、いかに慎重に一人一人が地震後の二次災害のことを考えて、行動するかが自分の命も守り、他の人の命も守るのではないかと考える。今回の課題のように、自分が通学する箇所がどういう場所なのか、どういうときに起こったら一番被害が出るのかを考えることで、少しは対策?心構えをすることができるのではないかと改めて考えた。渋谷駅は、現在工事中であり、ほかの建造物よりも比較的揺れに弱いと考えられる。先述したように、渋谷駅周辺は地区内残留地区に指定されているため、多くの人が駅周辺に滞在すると考えられるため、そのようなこともその場にいる人たちが頭に入れながら行動することができれば、自分の命、他社の命も救うことができるのではないかと考えた。
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⑨東京?世田谷区
東急田園都市線
駒沢大学駅付近 |
震度5弱以上
(緊急地震速報) |
7/8(火)18時45分、5限の授業を終えた私は東急田園都市線に乗車し帰宅途中であった。駒沢大学駅を出た後、突然乗客のスマートフォンから緊急地震速報の警報音が流れ、電車は非常停止した。電車の中でもはっきり感じられる程の揺れの後、車内は停電のため照明が切れ、空調も停止してしまった。車内は騒然としていたが、車掌から安全確認が済むまで待機する旨の放送が流れたため、ひとまず電車の窓を開けて次の指示を待つことにした。。次第に車内の気温が上がり、飲み物の類を持ち合わせていないことを後悔することとなった。地下線内ということもあり携帯電話の回線はつながりにくく、なかなか情報を得ることができなかったが、かろうじて南海トラフ型地震であることと、東京は震度6強であること、沿岸部には大津波警報が出されていることが分かった。発生から1時間ほど経ち、電車から降りるよう案内がされたため、順番に降車が始まった。線路上を歩き、駒沢大学駅まで向かった。駅員の指示で地上に出たのは、発災から3時間後であった。その後広域避難場所の駒沢公園
(作業途中か?)
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⑩神奈川?海老名市
東名高速
海老名SA付近 |
震度5弱以上
(緊急地震速報) |
5月4日(日)深夜3時30分。彼女との旅行中。大阪に向かう夜行バスに乗っていた。席がいっぱいになっていて、ほとんどの乗客が眠っていた。バスが海老名SAを過ぎたころ緊急地震速報が鳴った。運転手さんはバスを左に寄せ、ゆっくりと減速をして停車し、エンジンを切り、バスの窓を閉めた。すぐに揺れが始まり、強い地震が100秒ほど続いた。地震が収まり、周りを確認してみると道路に亀裂が入っており、車が横転しているの見えた。バスはむやみに動けない状況になってしまっていた。バスの中は乗客たちがざわざわしていて、これからどうなるのか不安になっており、落ち着きが亡くなっていた。運転手さんはバス会社に連絡を取り慌てふためいている。その様子がさらに乗客を不安にさせた。
地震発生から15分後、運転者さんがこれからの説明を始めた。バスで移動することは不可能なのでこのまま朝になるまでバスの中で待機し、約3km歩いて戻って海老名SAに避難するという説明をした。乗客はそれに従うことにした。朝6時、バスを出た。あたりには瓦礫が散乱していて、歩くのがとても大変だった。海老名SAに着いたら、おおぜいの人が避難してきており、地震の怖さがわかる。コンビニは食品など全部売れ切れており、トイレは使えるところが限られていたので、長蛇の列が出来ていた。スマホも充電が出来ず、家族に連絡もできなかった。 |
?静岡?静岡市
東海道新幹線
新富士~静岡間 |
震度5弱以上
(緊急地震速報) |
8月13日(水)11時15分頃。
夏休みを利用して大阪旅行に向かう途中、私は東海道新幹線「ひかり号」に乗っていました。新富士駅を出発し、静岡駅まであと10分ほどというところでした。 友人と並んで座っており、窓の外を眺めていたとき、突然スマートフォンが大きな警報音を鳴らしました。「緊急地震速報」です。
周囲でも一斉にスマホが鳴り、車内に緊張が走りました。「地震!?」と思った直後、新幹線が急停車。停車と同時に、ものすごい横揺れが始まりました。揺れはこれまでに経験したことのないほど強く、座席に必死でしがみつきました。荷物棚からカバンが落ちる音、車内放送での「身を低くしてください」というアナウンスが重なり、パニック寸前でした。揺れは1分近く続いたように感じました。収まったころには車内は騒然。車掌が「安全確認中」と繰り返し放送していました。電気はついていましたが、ネットはまったくつながらず、情報が入ってきませんでした。座席でじっと待つしかありませんでした。
しばらくして、X、旧Twitterで「南海トラフ巨大地震発生、震源は東海沖、マグニチュード9.1、静岡県沿岸に大津波警報発令」というニュースをめにしました。車内でも「津波…大丈夫なのか」と不安そうな声が上がりました。
新幹線は高架上で停止しており、線路から降りることもできず、車内に留まるよう指示されました。外を見ると、遠くに黒煙がいくつも上がっているのが見えました。静岡市内のどこかで火災が起きているようでした。
正午頃、車内放送で「この列車は当面、ここで待機。線路の被害状況を確認中。降車はできません」との案内がありました。品川駅で買った駅弁と水を持っていたのが、今となっては本当に助かりました。13時過ぎ、JR東海からの情報で「線路の一部損壊、運転再開の見通し立たず、徒歩での避難誘導準備中」という発表がありました。外に出られる準備をするよう求められ、リュックを背負い直しました。しかし、地上に降りるにも高架からの避難経路確保が難しく、結局車内で数時間待機することになりました。
15時頃、徒歩で静岡駅に向かうための避難誘導が始まりました。線路脇に設置された仮設階段を使って地上に降りましたが、アスファルトには亀裂が走り、道路も波打つように盛り上がっていました。歩きながら、建物の一部が崩れた様子や、冠水した場所をいくつも見かけました。静岡駅にたどり着いたのは16時半ごろ。駅は停電し、暗く、人であふれかえっていました。案内板も機能しておらず、情報を得る手段はありませんでした。駅前では、自衛隊の車両が集結し、避難所への誘導が始まっていました。私は友人と相談して、近くの小学校に設置された避難所に向かいました。避難所では、毛布と水、わずかなビスケットが配られました。備蓄品が圧倒的に足りず、1人分の飲料水はペットボトル半分だけ。トイレは使えるものの、断水しており、簡易トイレが設置されていました。携帯はほとんど繋がらず、家族に「無事」とだけ送ったLINEもなかなか送信されませんでした。
夜になり、避難所の体育館に雑魚寝する形で横になりました。周囲では「津波で自宅が流された」「家族と連絡が取れない」と泣き崩れる人もいました。明かりもほとんどない中、揺れの余震を何度も感じながら、不安な一夜を過ごしました。 |